創 業
初代谷村又吉が福知山市下新町にてランプ硝子商として谷村商店を創業する。
初代谷村又吉が福知山市下新町にてランプ硝子商として谷村商店を創業する。
電燈の普及とともに「ランプ」から「金物」の取扱いに移行する。
「金物」と併せて「鋼材・ガス管」の取扱い始める。
二代目谷村季太郎が経営権を委譲され、実質代表者となり渉外活動も展開する。
戦時統制経済のもと「亜鉛鉄板指定問屋」「鋼材指定問屋」の指定を受ける。
谷村季太郎が家督の相続を受け名実共に代表者となる。
戦争苛烈となり店舗倉庫が「強制疎開」の命を受け、一時市内和久市に移転する。
戦後復興進展し、「鋼材」の取扱量が大幅増加する。
法人化して資本金450万円で株式会社谷村又吉商店を設立し、谷村季太郎が代表取締役社長に就任する。
市内中野の土地約800坪を郡是製糸株式会社から取得し、中野倉庫を建設する。
増資により資本金900万円となる。
谷村紘一が入社し専務取締役に、若林昭蔵は常務取締役に就任する。
農業向けの資材の増強と共に、機械工具・伝導用品も強化される。
増資により資本金1,350万円となる。
H形鋼等の取扱いが始まり倉庫・運送に改善の必要性高まる。
社名を谷村実業株式会社に変更し、資本金も3,375万円に増資する。
現在地の土師263番地 2,400坪を取得する。
「誠実・前進」の社訓を制定する。H形鋼の需要が急速に伸びる。
優良申告法人として福知山税務署より表敬をうける。
現在地に本社並びに鉄鋼センター、金物センターが完成する。
物流センターとしては北近畿最大規模となり在庫機能・配送機能を強化する。
優良申告法人の再表敬を受ける。
金物部の「暖房展」鉄鋼機材部の「優秀機械工具展」など自社主催の展示会を定期的に展開するようになる。
社長谷村季太郎の急逝により、専務谷村紘一が代表取締役社長に、常務若林昭蔵が専務取締役に就任する。
又 藤林栄治、余田正博、余田 完が取締役に就任し、それぞれ鉄鋼機材部長、住設物資部長、建設資材部長を担当する。
従来の展示会を「総合展示会」として質・量共に強化し春秋2回の開催とする。
優良申告法人の再表敬を受ける。
土師宮町3丁目に店舗付き倉庫「第3センター」を建設し、三協アルミニウム工業に貸与。
農業向け「通信販売用チラシ」が強化され定着する。
優良申告法人の再表敬を受ける。 NC工作機械、溶接ロボットの新設が広がる。
消費税の導入と共に、富士通オフコンK280を設置し販売管理を強化する。
専務取締役若林昭蔵は取締役会長に、取締役会長谷村房子は取締役相談役に就任し、
部長兼務役員であった藤林栄治、余田正博、余田完は常務取締役に就任する。
営業部門に産業機器部を新設し、4部門体制とする。
鉄骨用加工機械の更新、新設が急増する。優良申告法人に再表敬受ける。
京都府知事より雇用保険制度運営に係わる感謝状を受ける。
CIを行い、社名のロゴ、社章のマーク、副社名TASSCOM、行動理念〈サービスアンドサポート〉を導入する。
舞鶴市平野屋に舞鶴営業所を開設する。舞鶴商工会議所会員となる。
大阪国税局局長より表彰状を受ける。
明治29年以来の資料調査と「記念誌」の編纂を進める。優良申告法人の再表敬を受ける。
「地域と共に未来を歩む」記念誌発行。
舞鶴営業所をFAZ舞鶴21ビルに移転。11月、社長谷村紘一が福知山商工会議所会頭に就任。
関電舞鶴火電、京都縦貫道路など活発化。
昭和28年の会社設立より45周年となる。
取締役副社長に谷村建一郎、専務取締役に藤林栄治、余田正博がそれぞれ就任。
取締役会長若林昭蔵が10月4日に逝去さる。
取締役相談役谷村房子が退任し顧問に就任する。9・11米国同時多発テロ。優良申告法人に再表敬受ける。
国際テロの連鎖。デフレが加速。売上60億円台に入る。
イラク戦争。中国経済発展が加速するとともに鉄鋼等の素材状況が上昇に転じる。
台風23号が北近畿を直撃し大きな被害を受ける。
売上80億円台に入る。
初めて売上高100億円を突破する。優良申告法人に再表敬受ける。
神戸支店開設 神戸市中央区栄町通1-1-24 3F
京滋支店開設 京都市伏見区竹田向代町川町18-2 2F
優良申告法人に再表敬受ける。
香港営業所開設 香港幹諾道西188號香港商業中心3803室
初めて売上高150億円を突破する。
代表取締役社長谷村紘一から谷村建一郎へ交代する。
初めて売上高170億円を突破する。
初めて売上高200億円を突破し、売上高220億円となる。優良申告法人に再表敬受ける。